建学の精神

神を畏れ、人を恐れず、人に仕えよ

本学は、「神を畏れ、人を恐れず、人に仕えよ」を建学の精神としています。この精神は、聖書の言葉ではありませんが、聖書の精神を要約して表現したものです。

  まず「神を畏れ」とは、聖書の「主を畏れることは知恵の初め。」(箴言1:7)という言葉に相応するものです。よく「宗教や信仰は弱い人や自分で何もできない人たちのものだ」という人がいますが、実際は自分の限界をよく知り、おそれなければならないものは何であるかを知っている人こそ、ほんとうに強い人なのです。
 神を畏れるということは、つまり神の偉大さを認識することによって、わたしたちが自分の限界をわきまえるということなのです。そして、このことこそわたしたちがものごとを正しく判断する基準となるという意味なのです。

 つづいて「人を恐れず」とは、「こわいもの知らずで誰とでもケンカしろ」という意味ではなく、また「世間には悪い人はいないから無警戒でいなさい」という意味でもありません。聖書には「人々を恐れてはならない」と記されたあとに、「からだは殺しても魂を殺すことのできない者どもを恐れるな」(マタイ10:26)と書かれています。つまり、自分の信念や良心に関することで、人から脅されたり危害を加えられそうになったとしても、そんなことで魂(良心)を変えてはならないという意味なのです。

 最後の「人に仕えよ」とは、そのように神だけを畏れ、人を恐れぬ強い人になったとしても、そのような強さをひとりよがりの独善とするのではなく、他人のために奉仕するエネルギーとして用いなさい、ということなのです。聖書には、「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」(マルコ10:45)と書かれています。「人の子」とはイエスが自分を呼ぶ呼び名です。つまり、イエスは人に仕えられる主人として来たのではなく、人のために仕えるために来られたのだという意味です。この聖書の言葉は、神戸聖ミカエル教会の壁に、本学院の創立者である八代斌助主教の遺骨の一部とともにプレートにきざまれてはめ込まれています。
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