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豚まん発祥の「老祥記」が大切にするブランディング、店づくり、まちづくり
老祥記専務取締役 4代目 曹 祐仁さん
経済学部の鍋嶋正幹准教授が教える「飲食産業論」の授業で、神戸市の南京町で創業110年を誇る豚まん専門店「老祥記」の4代目・曹祐仁(そう・まさひと)さんをゲスト講師に招いた講義が12月15日に行われた。

老祥記は、中国・浙江省出身の初代・曹松琪(そう・しょうき)さんが1915年に南京町の一角に開業した。中国の天津包子を日本人になじむように味付けして「豚饅頭(ぶたまんじゅう)」として売り始めたのが日本の豚まんのはじまりだという。戦後から南京町の復興期までは神戸市生まれの2代目・曹穂昇(そう・ほしょう)さんが豚まん専門店として店を守り続けた。80年代からは3代目の曹英生(そう・えいせい)さんが父の穂昇さんを支えながら行列ができる店に発展させ、95年の阪神・淡路大震災で大きな被害にあいながら「南京町から神戸を元気に」と炊き出しなどで復興に力をそそいだ。現・代表取締役の英生さんは2011年に「KOBE豚饅サミット」を開催するなど様々なイベントに携わって地域の発展にも尽力している。

老祥記4代目の曹祐仁さん
4代目の祐仁さんは大学在学中に海外留学を経験。2011年の大学卒業後は電機メーカーに2年間勤務し、専務取締役として老祥記に加わった。海外留学や外部企業での経験を生かし「先代とは異なった視点から老祥記をより良くしたい」と祐仁さん。それでも、当初はベテラン職員に認めてもらうため、一流職人を目指して製造・接客など全部門を5年間かけて習得。現在は南京町青年部のメンバーとして地域の発展に努め、老祥記では新しい目で広報や事業企画、人事などに従事して英生さんを支えている。
講義では、「なぜ100年以上も続くブランドを守れているのか」と疑問を提示して豚まん作り(味)と社員作り(人)の2点から考査した。老祥記の豚まんの最大の特徴は麹を使ったもちっとした生地にある。麹は環境の変化で発酵の度合いが変わり、弾力や色合いなど品質にばらつきがでるため、職人の長年培ってきた経験と技によって微妙な変化を見極めて発酵の進行を調整しながら生地を作っている。餡(あん)は良質なバラ肉を使用し、風味を引き立てながら肉の臭みを消すために青ネギを使っている。肉の繊維をつぶすことなく、温度を調整しながらまんべんなく丁寧にこねる熟練の技で一世紀以上にわたる伝統の味を守っている。
職員の平均勤続は10年以上。新型コロナウイルスの感染拡大前は5年間離職率0パーセントだった。現在の職員は25人。祐仁さんによると「そのうち3人が年収1千万円を超える」という。職員の一人ひとりを大事にして後継者を絶えず育てていくことで生地と味を守っている。一日平均1万3000個を販売するという豚まんはすべて手作り。製造は南京町でのみにこだわり、多店舗での展開をしないから「南京町に行かないと味わえない」といつ来ても変わらない味を求めてお客様の行列ができる。出来立てを提供することにもこだわり、行列の長さを見ながら生産を調整していることも老祥記ならではだ。「行列ができる店」のイメージを大切にすることでブランド力を高めている。
老祥記の経営陣の強みを4代目は「常に次の世代を思いやる家族経営」としている。2代目は人が働きたくなる給与システムをつくり、現在の「辞めない職場づくり」の原点となった。3代目は行列ができる店に育て上げ、飲食で地域に大きな影響を与える神戸の顔となって地域貢献している。4代目は「全身全霊で伝統の継承と変革を推進する」という目標を掲げ、老祥記の今後10年計画として①大学生、高校生が新卒社員として入社したい会社にする②豚まんを神戸市の全小学校給食で食べたいメニューNO1にする③神戸といえば豚まんが当たり前の食文化をつくる、などを掲げて邁進するつもりでいる。
講義中に行われたクイズで一日平均の販売数を1万3000個と答えて正解した同学部国際文化ビジネス・観光学科4年の岡田りり呼さん(21)=神戸市出身=は「豚まんが一口で食べられておいしいので(販売数は)知っていました」と胸を張った。それでも、老祥記の豚まんデビューは遅かった。「高校生になって初めて南京町で食べ歩くようになったので。食べたら驚いて、何でもっと早く食べなかったんだろうって悔やみました」と振り返った。祐仁さんが「今後も南京町だけでつくり、味も変えない」と説明したことに、岡田さんは「その特別感を大事にしているところがいい。神戸市民として自慢のブランドだから『これが老祥記の豚まんだぞ』といつまでも言い続けたい」と力を込めていた。

和やかな雰囲気で行われた


