1963
国際教育活動の集約と国際課題の実践の砦として、学校法人八代学院創立(1月設立認可)。
初代学院長兼理事長に八代斌助就任。
八代学院高等学校開設。
1968
八代学院大学設置認可(経済学部、経済学科)。
八代学院大学開学。
神戸市垂水区の丘陵“学が丘”という恵まれた自然環境の中に、八代学院大学(現:神戸国際大学)は設立されました。大学より北から西へはゆるやかな山脈を望み、東から南には大阪湾から瀬戸内の海がひらけ、豊かな緑に囲まれたキャンパスでした。経済学部、経済学科定員100名と、開設当時より少人数教育を行い、キリスト教主義にもとづいた人間形成と国際教育を重視しています。
創立当時の大学1号館と周辺の建物
2号館(当時)から見た学院チャペル
八代学院チャペル(カンタベリー大主教をお迎えした時のもの)
1970
八代斌助逝去(10月10日)。
教職課程認可。
1972
コース制(経済学、経営学、貿易学、観光学)開始。
高度な知識や技術が要求される社会に応えるため、1972年よりコース制度を導入しています。経済学・経営学・貿易学・観光学の4コースより開始されました。特に観光学は当時西日本唯一のコースであり、観光関連産業に貢献しうる有為な人材を育成するために観光学概論、観光事業論をはじめ、ホテル事業論、観光資源論、観光政策論、余暇論、文化論、観光関係法規などの科目の設置や、ホテル観光講座を開くなど、幅広い視点から観光学のパイオニアとして充実した教育を行っておりました。(科目名は当時のもの)
1983
定員変更認可。
1992
国際化時代の到来の中、本学の使命と地域性、歴史性を明確にするため、 「八代学院大学」から「神戸国際大学」に校名を変更。
開学から20数余年、八代学院大学として“国際経済人の育成”を押し進めてまいりました。そして、大学の歴史性と国際都市・神戸という立地性、さらにはグローバルへと進展する時代の到来の中で、“国際大学”を鮮明に標榜し時代や社会のニーズに応えることは本学の使命から当然のことと考え、1992年4月1日、「神戸国際大学」へと名称変更いたしました。
1995
都市文化経済学科を開設。
2002
六甲アイランドに移転。
多様な国の文化の影響を受け、港とともに歴史をはぐくんできた神戸の町。六甲アイランドは、その国際都市・神戸の独自性を創出してゆく拠点として1987年に誕生しました。目の前には大らかな海、背後には六甲の山並という抜群の立地条件に加えて、近未来的なビルやホテル、ショッピングモール、住宅、公共施設、医療施設、外資系企業やインターナショナルスクールなどが集積しています。2002年4月、海の見える美しいキャンパスへと移転しました。
2017年3月 六甲アイランドは街びらき30年を迎えました
2008
学科名称変更。
【経済経営学科】【都市環境・観光学科】(2008年度入学生より)
2009
リハビリテーション学部【理学療法学科】開設。
2009年には、リハビリテーション学部理学療法学科を設置しました。医学・医療の原点である「全人的復権」のもとに、「人間の保健・福祉」を追求する学問的基盤に立って、特にリハビリテーションの中核的な担い手である高い専門的知識と技術、及び豊かな教養と人間性を持つ有用な理学療法士を養成することを目的としました。医療における高度な知識や技術の習得だけでなく、人間性豊かな理学療法士の育成を目指しています。
人間性豊かな理学療法士を養成します
2016
学科名称変更。
【都市環境・観光学科】から【国際文化ビジネス・観光学科】に変更。(2016年度入学生より)
創立者
八代斌助師父は、キリスト者として17歳の若さで伝道、聖職者の道へと入り、以後世界を舞台にその生涯を宗教活動に捧げました。とくに戦後の業績は特筆すべきもので、1948年、戦後の日本人として初めて海外渡航の許可を受け、国際会議に出席。当時のイギリス国王ジョージ6世に昭和天皇のメッセージを手渡すなど、日本と世界との外交関係が絶たれていた中で民間大使として貢献しました。その活動は全世界においても知られており、今日でも高く評価されています。
創立者
八代 斌助 師父
シンボルマーク
シンボルマークは、国際都市・神戸からイメージされるコンパスと錨をモチーフとして中央に十字架をデザインしています。また、コンパスの形は学業のペンや鉛筆の形も暗示させています。全体の形は安定のある正三角形を基本とし、上昇する形・未来への志向を感じさせるデザインとなっています。また2色のブルーカラーは“海(知性)”と“空(若さ)”の青さを表現しています。