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母語を磨こう! ~あなたの母語は?~

~学術情報センター便り~

学術情報センターでは、先生方の研究のこと、ゼミのこと、研究者になる前のご自身のことなど、様々なことをお聞きし、アカデミックな中にも、人間味あふれる話題を記事にまとめたいと思っております。

さて、今回は経済学部、瀨古 悦世准教授にお話を伺いました。
瀨古先生は日本語教育・言語政策等の研究をされております。
新しい年の睦月(1月)に『日本語』について心新たに、お話をお聞きしたいと思います。
瀨古先生の教員紹介はこちらからどうぞ。

また恒例の推し本ですが、
三浦綾子さんの「塩狩峠」と
佐々木健一さんの『辞書になった男ケンボー先生と山田先生』をご紹介いただきました。どんなお話が聞けるでしょうか。楽しみですね。

まずは最初に・・

 『まず最初にお話しておきたいのは。。。
言語教育には2つあります。
ひとつは、第二言語教育です。学習言語が使われている国や地域でその言語を学ぶことです。ですので、学習者の母語は様々である場合が一般的です。本学に在籍している留学生が受けている日本語教育がこれにあたります。もうひとつは、外国語教育です。例えば日本で日本語を母語とする人が英語を学習するというもの。この2つには大きな違いがあります。
私は日本語を第二言語教育として教えています。今、様々な国や地域から留学生が日本に来ています。また在留資格「特定技能」を取得し日本で働くために、日本で日本語の第二言語教育を受けている人がいます。ある言語を外国語教育としてではなく第二言語教育として学習をしている人は、学習言語が習得できなければ生活そのものに支障がでます。ですので、この2つの言語教育には学習目的や学習内容など大きな違いがあります。』

※ 瀨古先生が国際別科長を務めている国際別科では大学進学を目指す留学生の他に、このような形で神戸で新たな一歩を踏み出している留学生たちもいます。
ぜひこちらをご覧ください。(神戸 外国人高度専門人材育成プロジェクト紹介動画 🎬)

なるほど。私が英語を話せるようになりたいと日本でラジオ英会話を聞くのは外国語教育なのですね。違い、よくわかります。これといって困ることがないので、ゆる~く学習しています。                      

日本語教育に興味を持たれたきっかけは何ですか?

『子どものころの話になるのですが、私が住んでいた街は、外国人の子どもが普通にいるところでした。キリスト教系列の幼稚園に通い、卒園後は公立小学校に行きました。幼稚園のときに一緒にいた外国人の友達は、インターナショナルスクールに通うようになりました。その子たちと話をすると、授業で日本語の授業があるというのです。「それは国語でしょう?」と私が言うと、「違うよ。」というのです。子どもながらになぜかしら?とモヤモヤしていました。』

国語、日本語、お話にわくわくしてきました。

『ずっと本は好きでよく読んでおり国語は得意科目でした。小説はもちろんですが、問題文を読むのも好きでした。また辞書を読むのも好きで、時間があれば暇つぶしに読んでいるような子どもでした。母はそんな私を私立中学校に行かせたいと考えていたようで、私は進学塾に通うことになりました。塾のおかげで成績は上昇したのですが、国語では点数を取るノウハウを叩き込まれ、なんというか・・・そう。興ざめしてしまったのです。本は好きだし、国語の成績も良かったのですが、科目としての国語に対してはモヤモヤしていました。結局、中学受験はせず公立中学に進学しました。私が辞書を読んでいることを知った国語の先生がこんなことをおっしゃったんです。「ひとつの出版社だけでなく複数の辞書を読み比べないとね。」と。なるほど!と思い、違う出版社の辞書を読んでみると、語彙の説明や例文がそれぞれに違うんです。編者の言葉への思いが違うんでしょうね。新聞も一紙ではなくいろいろな新聞社のものを読むように勧められたので、親に頼んで複数の新聞を取ってもらいました。特に政治面は新聞社によって捉え方や伝え方が異なり、こんなに違うものなんだ、と驚きました。本や辞書、新聞などから日本語の面白さを教えてもらいました。そんな学生生活を送っていましたので、高校では周囲から、「国語の先生になったらどう?」と勧められることもありました。ただ、自分が学生に国語の文章問題の解き方を教える姿はイメージできませんでした。ここでも気持ちはモヤモヤしていました。』

神戸国際大学図書館 各新聞社の新聞が読めます。辞典類もいろいろあります。「新明解国語辞典」見つけました。

推し本、『辞書になった男ケンボー先生と山田先生』がなんだか気になってきましたね(笑)。

BREAK TIME ☕

『辞書になった男ケンボー先生と山田先生』の中に出てくる、
新明解国語辞典です。つくった人物の話がノンフィクション作品になった辞典、気になりますね。。。
少しページをめくってみましょう。
えっと、例えば「恋愛」とは。。。。

~特定の異性に対して他の全てを犠牲にしても悔い無いと思い込むような愛情をいだき、常に相手のことを思っては、二人だけでいたい、二人だけの世界を分かち合いたいと願い、それがかなえられたと言っては喜び、ちょっとでも疑念が生じれば不安になるといった状態に身を置くこと。~

新明解国語辞典 第6版 机上版 より

進路にモヤモヤしていた瀨古先生のお話に戻りましょう!

『ちょうどそのころ、世間では中国残留孤児のニュースが盛んにメディアで放送されていました。日本人なのに日本語を失ってしまった人たち。日本に住んでも日本語が話せず社会生活にも馴染めない。彼らのアイデンティティはどこにあるのか。。私に何かできることはないか、と考えるようになりました。そのとき、モヤモヤしていたインターナショナルスクールに行った友達の話を思い出したのです。国語ではなく、日本語を習っているという話です。』

止まっていた歯車が動き出したのですね。あちこちの新聞で、中国残留孤児の記事を読んでいらっしゃる瀨古先生の姿が目に浮かびます。そこで「私に何かできることはないか」と思われるのはすごい! 「塩狩峠」が愛読書とおっしゃるのもうなづけます

『高校3年生のとき、ちょうど姫路獨協大学が開学し、外国語学部に日本語学科があるということを知ったんです。すぐに担任の先生に、ここは何を勉強するのかを尋ねました。担任の先生もご存知ではなかったのですが、なんとすぐに姫路獨協大学に着任される先生がどなたなのかを調べ、その先生方の研究内容も調べてくださったんです。日本語を外国語として研究する大学は姫路獨協大学が関西初でした。また主専攻で学科を設置されたのは日本初だったんです。私はここに進学したい!と思いました。進路の先生には反対されたのですが、担任の先生は賛成してくださいました。』

すごいですね。ルービックキューブがカチッと揃った感じですね。

『開学一年目だったので、学生も少なく、先生も時間的に余裕があったのだと思います。当時、パイオニア的な存在で著名な先生にぴったりとついて勉強し、大学院に進学しました。』

小出詞子先生でしょうか。瀨古先生、小出先生のことを少しお話いただけますか?

『私には恩師が三人いるのですが、小出先生はそのうちのお一人で、私に日本語教育の面白さと奥深さ、そしてパイオニア精神を叩き込んでくださった先生です。小出先生の言葉の中で今もハッキリ覚えているのは『あなたたちは(日本語教育主専攻の)一期生なんだから、その自覚を持って頑張りなさい。あなたたちが評価されれば、後輩も評価されるから』と、『あなたたちが道を切り拓くのよ』と繰り返しおっしゃっていました。

瀨古先生の日本語教育人生の始まりですね。

『大学では第一外国語に日本語、第二外国語に英語、第三外国語に中国語を選択しました。中国の歴史は大好きです。あの頃、中国は大きく変わった時でした。貧富の差もできてきて、天安門事件が起こりました。兵馬俑を見たいと計画していたのですが、行くことができませんでした。』

外国語としての日本語

そうか。。。第一外国語に日本語なのですね。ものすごく新鮮な感覚です。
天安門事件、ショッキングな事件でした。私はテレサ・テンさんを懐かしの歌番組で見るたびに思い出します。
ところで、今回先生にお話しを聞くにあたり、ネットで日本語のことを調べてみました。世界で10番目に使用人口が多い言語だと書いてあって驚きました

『そうですね。ですが、使用人口はほぼ、日本の人口と同じなのです。一時代前、バブル期があり日本経済が世界でもてはやされた時がありました。その時は、日本語を習得することはとても大切なことでしたが、今はもう中国語にとってかわられています。言語学習者、言語使用者の数は、経済に大きく影響されます。もちろん今も日本のアニメは人気が高く、そのために日本語を学習する人もいます。ですが、数的にはやはり経済が強い国の言語が圧倒的に強いですね。』

やはり強いのは英語ですよね。。。経済は言語に対しても世界を動かす大きな力なのですね。文化よりも。。。というのはなんだか個人的には少し悔しいですね(笑)。
2017年6月12日、本学キリスト教センター発行のWeekly Micheal’s Newsに瀨古先生がお昼の礼拝で話された内容を当時のチャプレンがまとめた記事を見つけました。

テーマ:「やさしい日本語って何?」 瀨古 悦世(経済学部)
『私の専門は日本語教師だ。「では英語が上手なんですね」と言われる事が多いが、自分では英語がそんなに堪能ではないと思う。調べてみると英語を母国語とする人は約 10 億人、学習している人を含めても約 30 億人で、世界人口の半分にも満たない。ではなぜ英語が国際言語なのか? 実は、母国語の異なる者同士の会話で英語が使われる事が多いそうだ。では日本語はどうだろう? これまであまり外国人を受け入れて来なかった日本は、外国人に日本語で話す機会が少なかったと言える。しかし昨今は、外国人旅行者の増加に伴い、優しい日本語(難しい言葉を言い換えるなど相手に配慮したわかりやすい日本語)が重要になってくる。「自分は英語が出来ないから留学生とは話せない…」と壁を作るのではなく、小さな勇気と優しい日本語で、自分の日本語をチェックしながら、コミュニケーションの幅を広げてみてはどうだろうか?』
Weekly Micheal’s News 2017.6.12発行 原文に、このニュースのため、瀨古先生が加筆訂正されたものです。

~小さな勇気と優しい日本語~

瀨古先生、「小さな勇気と優しい日本語」ですね。
わかりました。
気を取り直して、日本語のことを伺います。日本語は文字にすると、漢字・かな・カタカナ・数字等が混ざり合っています。この多文化に対する寛容さが日本語習得を難しくしているのではないでしょうか。
先生は授業でどのような苦労をされていますか?
※年始にいただいたお年賀状です。漢字(音読み・訓読み)・かな・数字・・・。文字のデパートですね。

授業の中での日本語教育についてお聞かせください

『聞くこと、話すことについては、他言語と同じくらいの難易度かなと思いますが、読む、書く、つまり文字については、ハードルの高い言語だと思います。私が授業で留学生に日本語を第二言語として教えているときはまず、語彙を増やすことを心掛けてもらいます。語彙が増えるとアウトプットが的確になり、いろいろな意味でストレスが少なくなります。特に第二言語教育として日本語を学んでいる子どもたちの場合は、まだ心身ともに成長段階にいますので、ストレスを抱えやすくなります。日常会話(日常言語)に不自由がなくなってきても、授業に必要な言葉(学習言語)を習得しないと成績は伸びません。子どもは言語習得が速いと思われがちですが、それは生活言語のことであって、学習言語の習得には時間がかかります。ですので、周りが学習言語の重要性に気付いて、積極的に教育する必要があります。「日本語を教えています」と話すと、「何か国語話せるんですか?」とよく聞かれますが、日本語を教える際に必要になるのは、外国語の「学習経験」です。日本語を外国語として理解するために外国語の学習経験が生きるわけです。教えるときには、自分が外国語学習の際に困ったことを思い出し、学生がどこで困るかをイメージします。もちろん外れることもよくあるのですが(笑)、このイメージづくりはとても大切です。学生が困ったところ、ひっかかっているところは詳しく丁寧に説明をします。留学生は「助詞」につまづく確率が高いですね。「てにをは」これは本当に難しいのだと思います。
逆に普段、授業ではしゃべりすぎないようにしています。私からの発話は学生の間違いの修正など最小限度にとどめ、学生の発話時間を最大限に設けます。言語習得のキーは使うこと、アウトプットだからです。
それから外国語を学習する上で大事なことは、具体的な目的・目標を立ててもらうこと。目標はできれば短期と中期で設定してもらいます。学習の意識づけができます。その目標に到達するために、自分に足りないものは何か?これを洗い出し、学習を自分自身でコントロールすることを継続してもらいます。こうすると、『日本語を勉強させられる』という受身ではなく、自分が『日本語を勉強する』という能動的な姿勢になるからです。』

『語彙が増えるとアウトプットが的確になりストレスが少なくなる。』
相手に自分の言いたいことが十分に伝わったと感じる成功体験は快感ですよね。ものすごくよくわかります。
ストレスなく他言語習得といえば、英語の早期教育について先生はどう思われますか?

乳幼児からの早期英語教育をどう思われますか?

『英語ではないのですが、兵庫県国際交流協会にいたときに、外国人児童・生徒の進学サポートをしていたことがあります。その時によくあったパターンなのですが、例えば、日本語が上手ではない外国人の両親は、子どもには速く日本語が上手になってもらいたいので、家庭でも自分たちの母語は使わずに不得意な日本語で子どもに話しかけます。親が家庭で母語を使わなくなる、母語ではなく不得意な日本語を使う姿を見て子どもが育つと、母語は使わないほうがいい言葉なのだと思い始めます。また両親は、思うように表現できない日本語で子どもを育てるため、十分な人格形成を育むことができません。そして、子どもは日本語ができない親のことを見下すようになります。これはとてもよくない例です。母語でしっかりと思考能力や人格形成を行い、子育てをする。これがまず大事なことです。
これは子どもを対象とした第二言語教育の問題点というか、難しさです。一方で子どもを対象とした外国語教育、早期英語教育にも両面あります。最大のメリットは、脳の発達時期にいわゆる「英語脳」や「英語耳」の土台をつくり、英語への抵抗感を感じにくくなることだと思います。。とりわけネイティブに近い発音の習得は大人になるにつれ難しくなってきます。ですが、ビジネスで英語を使うことが学習目的なら、何もアナウンサーのようなきれいな発音で英語を話す必要はありません。RとLがうまく発音できなくとも通じます。親が子どもに英語を習わせる理由にもよりますが、やはり子どもたちには外国語よりもまず年齢相応の国語力を身に付け、母語をしっかりと磨くことが大切だと思います。母語とは、生まれて初めて出会い、親や周囲から受け継ぎ、思考や人間形成の基となる言葉です。』

発達段階での母語の充実は大切なことなのですね。すごく理解できます。

『母語以外の言語をいかに学習しても、母語以上にレベルを上げることはできないんです。同時に、母語の運用能力を伸ばさないと第二言語は伸びません。セミリンガルと呼ばれる状況があります。表面上、2つの言語を話すことはできるけれど、どちらの言語でも抽象的な内容を思考したり伝達したりできない状態のことを指します。2言語をうまく習得する、つまりセミリンガルにならない環境というのはあります。例えば、朝鮮族の中国人学生のケースですが、その学生の家庭では母語である朝鮮語を使用し、ご両親は母語でしっかりと子育てをしていたそうです。外では住んでいる国の言葉である中国語を話し、教育をうけました。こうして育った朝鮮族の学生は朝鮮語を母語とし、中国語を流暢に使用できるバイリンガルに育ちます。この環境が大切だと考えます。

 『様々なことをお話しましたがまとめてみますね。
早期英語教育にも両面あります。最大のメリットは、脳の発達時期にいわゆる「英語脳」や「英語耳」の土台をつくり、英語への抵抗感を感じにくくなることと、日本・日本語以外の文化や言語に触れることで早い段階から多様性への理解が深まることだと思います。とりわけネイティブに近い発音の習得は大人になるにつれ難しくなってきます。ですが、将来、ビジネスで英語を使うことが学習目的なら、何もアナウンサーのようなきれいな発音で英語を話す必要はありません。親が子どもに英語を習わせる理由にもよりますが、子どもたちにはまず年齢相応の国語力を身に付け、母語をしっかりと磨くことが大切だと思います。それからでも遅くはないと思います。』

なるほど、家庭教育が肝になるのですね。これはバイリンガルの問題だけではないですね。親子間でたくさんの言葉を交わし、豊かなボキャブラリーで自分の言いたいことをより相手に伝えようと工夫し、文章の組み合わせで抽象的な感情も伝えあい、家族同士がお互いに人格形成を行っていくことが大切なのですね。言語は奥が深いですね。

『私は、自分自身が今、何をすべきかを考えるとき、いつも三浦綾子さんの「塩狩峠」を思い出します。高校生で初めて読んだときは、なぜ?という思いが強かったのですが、年齢を重ね、経験を重ね、読み方は変わりますが、いつも私の横にある作品です。
佐々木健一さんの「辞書になった男ケンボー先生と山田先生」は辞書をつくる中で二人の人間がいろいろなことを感じ、絡み合って様々なことを思う。本当におもしろいですよ。三浦しをんさんの「舟を編む」も話題となりましたが、辞書を作る人が脚光を浴びるということを、とても嬉しく思いました。ぜひお薦めしたい本です。』

学術情報センター便り アーカイブ

瀨古先生、長時間お話ありがとうございました。とても中身の濃いお話でした。瀨古先生の研究や教育に対するとても真摯なお気持ちがひしひしと伝わってくるインタビューでした。
言語のことを言語で考えて言語で表現する。おそろしいほど奥は深いです。私たちは言葉という道具を手に入れ、意思の疎通を快適にし、豊かなコミュニティを形成しました。また同時に言葉に悩み、言葉ですれ違い、言葉で共感しています。
これからも大切な人に、自分の伝えたい気持ちを言の葉に乗せて、ゆっくりといつまでも編むことができたら嬉しいなと思いました。新年、清々しいこの時に、「日本語」を改めて考える機会となりました。

瀨古先生の推し本は、神戸国際大学図書館に読みに来てください。

さて、本学には魅力的な研究者がたくさん在籍しています。まだまだセンター便りは5回目ですが、今までのインタビュー記事もあわせて読んでみてください。
(第1回目 魚住香子教授 リバプール発 英文学者が見たイギリスはこちら
(第2回目 佐野訓明教授 サイエンス・カフェ オープンはこちら
(第3回目 岑 昕専任講師 新任・若手・女性研究者☆『学術研究』という旅の始まりはこちら
(第4回目 鍋嶋正幹准教授 この仕事は天職と感じた ~ 一枚の写真に心奪われて ~はこちら