NEWS
- グローバル
- その他
- 教育・研究
この仕事は天職と感じた ~ 一枚の写真に心奪われて ~
~学術情報センター便り~
学術情報センターでは、先生方の研究のこと、ゼミのこと、研究者になる前のご自身のことなど、様々なことをお聞きし、アカデミックな中にも、人間味あふれる話題を記事にまとめたいと思っております。
さて、第4回目は経済学部、鍋嶋正幹准教授にお話を伺いました。
(第1回目 魚住香子教授 リバプール発 英文学者が見たイギリスはこちら)
(第2回目 佐野訓明教授 サイエンス・カフェ オープンはこちら)
(第3回目 岑 昕専任講師 新任・若手・女性研究者☆『学術研究』という旅の始まりはこちら)
鍋嶋正幹准教授 教員紹介はこちら
鍋嶋先生は、この4月に神戸国際大学に着任された実務家教員でいらっしゃいます。授業担当は、ホテル産業論、ホテルオペレーションA B、ホスピタリティ・ビジネス論、飲食産業論、ゼミナールⅠⅡ、基礎演習ⅠⅡ、キャリアデザイン入門です。インタビューをしながらダイナミックなお話に引き込まれました。
Break Time☕では本に関するエピソードを、また最後には恒例の鍋嶋先生の推し本も紹介させていただきます。
マイペンライ(mai pen rai)。 最後までお楽しみください。
聞き手 学術情報センター 吉中
学生時代 ~留学へ~
実務家教員の先生にお話しを伺うのは初めてです。本日のインタビューを楽しみにしておりました。まずは学生時代からホテル業界に就職されるまでのお話を伺ってよろしいでしょうか。
『大学を選ぶにあたってのこだわりは、海外留学に力を入れているということでした。出身は和歌山市内なのですが、小学校のころから外国人にとても興味がありました。当時和歌山にはほとんど外国人は住んでいなかったのですが、一軒ずつ家を訪れてはキリスト教の布教をする異国の方が流ちょうに日本語を話しているのを見て、子供ながらに興味津々でした。異文化にとても興味がわき、英語も好きになりました。大学ではぜひ留学をと考え大学2年生のときにアメリカ西海岸、オレゴン州のオレゴン大学に1か月の短期留学をしました。西海岸の人たちはフレンドリーで、楽しくて仕方がない生活をしました。その後、4年生で1年間の留学に行くのですが、五大湖の近くのイリノイ大学に2か月間の語学研修を、その後、東海岸ペンシルバニア州のサスクェハナ大学に10か月通いました。なるべく日本人がいないところに留学したいと考えており決めたのですが、東海岸は西海岸とは全く雰囲気が異なりました。私の好みは西海岸ですね。』
大学4年生で留学ですか。就職はどうされたのですか?
『大学生活は5年間。帰国が6月、就職活動はほぼ終わっていますね。ですが私自身、「なんとかなるわ」の性格です。また神戸国際大学のキャリアセンターのように、きめ細やかなキャリア指導もなかったので、自分で2次求人募集の紙をめくって探しました。学生時代は和歌山県奨学会東京学生寮に一人暮らしをしていたので、賄いのあるバイトをしていたのですが、飲食業で働くのが楽しかった。個人の焼き肉屋さんだったのですが、お店に来るお客さんはほぼ常連さん。そのうち、その人その人の飲み物の好みがわかり、お客さんに言われる前に準備ができました。そんな給仕をすると、とても褒められました。今度はそれが楽しくて「自分はサービス業に向いている」と感じました。そしてサービス業の頂点であるホテル業界を目指しました。就職活動中にこんなことがありました。求人票をあちこち見て、ある大手ホテルの説明会に参加することにしました。当日、会場に行ってみると、貼り紙もなく、人が集まっている感じもない。スタッフに問い合わせても「大手ホテル就職説明会の予定はない」といわれ、よくよく確認すると、昨年の説明会の資料を見ていたのです。「なんとかなるわ」の就職活動の笑い話です。その後、何社かホテル業界を受験し、すべて内定をもらいました。その中で同期入社の多い株式会社パレスホテルを選びました。皇居前にありますね。関西ではあまりなじみがないですが、東京では老舗中の老舗です。』
ホテル業界へ就職
鍋嶋ホテルマンの誕生ですね。
『はい。パレスホテルでは、話し方や所作、ホテルマンの基礎を厳しく叩き込まれました。大学卒業新任者の研修が3年間もあるのです。宴会・客室・レストラン・ベルボーイの4部門を3年間かけて訓練されます。私はベルボーイ研修中になんと宿泊部長に、自分はベルボーイに向いていないので他のところにしてほしいと申し出たのです。そうしたら、英語が話せたのでフロントに、しかも研修ではなく本配属で抜擢されました。3年半パレスホテルでお世話になりました。』
いよいよ海外進出でしょうか。
『そうですね。ゆくゆくは海外へ。それにはまず日本企業でノウハウを覚えてから。なんといっても「リゾートホテル」に。と思っていました。そのころの日本の主流はやはり日本旅館。「リゾート」は「温泉リゾート」でした。私自身、それは違うかな、と感じ海外のホテルを探していました。ハワイもトライしましたが、すでに日本語を話す日本人がたくさんいるハワイはVISAがおりず無理でした。アジアに目を向け、ホームページを見ていると、あるホテルのインフィニティプールの写真に目が釘付けになり一目ぼれしたのです。インフィニティプールとは無限という意味で、プールの水面と背景の海の水面が同じ目線になるように設計されたプールのことです。タイのサムイ島にあるル・ロイヤルメリディアンバーンタリンガムというホテルです。私からのアプローチの方法ですが、当時、ホテル専門学校のようなところには、インターン支援担当窓口があり海外の現地とつなぐ役割をしてくださいました。実態は最初のつなぎだけなのですが、私もそこでお世話になり、自分で国際電話をかけ英語で面接を受けました。そこで現地スタッフとして採用されました。サムイ島に来る日本人客のすべてのお世話をするという役割です。薄給でしたがそんなことは全く気にせず、楽しすぎて結局、現地社員になりました。ここで2年過ごしました。この2年間、この仕事は天職だと感じました。そののち、バンコクに移り当時のメリディアン・タイランドリゾーツが運営する4軒のホテル(プーケットに2軒、サムイ島に1軒、カオラックに1軒のリゾートホテル)の営業職を経験しました。タイに来て4年がたとうとしていました。』
日本に帰ってこられるのですね。
『そうなんです。自分の将来を考え、このままタイにいていいのか。。。タイで永年人生を過ごしている日本人をみて、自身はどうなのか。と考えたとき、やはり自分は日本人である。家族もでき、人生のライフステージも変わり、日本に戻ろうと思ったのです。そこで帰国できる転職先を探し、エア・タヒチ・ヌイ航空会社の営業職を得ることができ、帰国したのです。ところが、この転職に関わるあらゆることのGAPが大きすぎました。タイはマイペンライ(mai pen rai) 、あまり考え過ぎず、気を遣い過ぎず、心地よい時間を過ごそう、大丈夫だよ、ドンマイ、なんとかなるよ。の国。一方帰ってきた土地、東京は常に短い間隔で予定が入り、時間に追われるのが当たり前に皆が暮らしている国。同じ時代を生きているのにまったく違う環境の2国でしたが、東京の忙しさに私自身が疲れてしまったんです。航空会社を退職し和歌山に一度戻りました。』
マンペイライのタイとタイパの東京サラリーマンの生活、これは環境が違いすぎたのですね。
『そうですね。和歌山に帰ってきて、やはりホテル業界に身を置きたいと思い、あちこち見学に行ったりしました。ある時、神戸メリケンパークオリエンタルホテルにパレスホテル勤務時代の上司の方がいらっしゃるというのでその方に会いに行ったんです。そうしたところ、ここで働かないかというお話があり、フロントマネージャーで7年間、勤務しました。神戸メリケンパークオリエンタルホテルは海と山の景観が素晴らしく、いいホテルだと思います。ですが、この神戸の生活はほとんど英語を使うことがありませんでした。同じ毎日にも少し飽きがきたこともあり、何か新しいことをやりたい気分が上がってきました。そこでまた転職を考えました。』
かなりダイナミックに人生を送っておられますね。
『やりたいことをやりたいと思うんです。それも深くというよりいろいろなことを(笑)。転職先を探していると、森トラスト・ホテルズ&リゾーツ株式会社が京都嵐山にマリオット・インターナショナルの日本初進出となるラグジュアリーブランド、翠嵐ラグジュアリーコレクションホテル京都というリゾートホテルをオープンさせるという話を聞きました。そこにチャレンジし働く機会を得ました。森トラストは不動産業界のグループ会社で、ラグジュアリーホテルは初の運営だったのですが、働いている人もいい職場環境でお客様と接し、楽しく過ごすというコンセプトが未熟で、また疲れてきてしまいました。日本のリゾートレベルはまだまだだったのだと思います。そこで同じグループ内で、新大阪のホテルに異動願いを出しました。』
新しいホテルのオープニングに携わられたのですね。ものすごく大変なことですね。
『本当にあらゆる面で大変でした。忙しすぎて消耗し、不安になりました。連続して夜勤を入れ、時間を確保し「新しい風を入れよう!」と考え、視点を広げて探しました。ちょうどそのころ、観光庁主催の「観光産業を担う中核人材養成講座」を見つけたのです。無料受講でき、講師は大学の先生がほとんどで、たまに業界の専門家が来られました。この講座でホテル業界とはまったく違う業界の方と知り合うことができました。講師で来られていた和歌山大学の先生から、大学でホテル学を教える授業があること。資格がなくても実務家教員になることができるということを聞きました。ここで縁ができ、京都外国語大学で週一回非常勤講師としてホテル学を教えることとなりました。』
実務家教員、鍋嶋先生の誕生ですね。
お話を進める前に、ここで少し Break Time ☕。。。
Break Time☕ ~小説や映画の中のホテル~
ホテルの中には、小説や映画の題材や舞台となったものもあります。主役ではなくても、作品の中に圧倒的な存在感を示し、読者や観客を魅せる力がそのホテルにはあります。また世界の文豪が愛し、名作を執筆するための長期滞在を支えたホテルもあります。鍋嶋先生もマンダリンオリエンタルバンコクを、辻仁成作「サヨナライツカ」の小説になぞって思い出すことがあると伺いました。またサマセット・モーム、三島由紀夫もこのホテルを愛した人たちです。名だたる文豪の創作力を引き出す力をもつホテル。あらゆる角度からの最上級のホスピタリティが彼らをインスパイアするのでしょうか。癒しが彼らを支えるのでしょうか。生み出された作品がまたそのホテルの魅力をアップデートする。小説を読み、映画を観て、いつか泊まってみたいと思うホテルもありますね。ホテルの楽しみ方はいろいろですね。
さて、楽しみといえば。。。食べることですね! 鍋嶋先生にお好きなタイ料理を紹介していただきましょう。
『タイにいたころによく食べたソムタム(青パパイヤのサラダ)今でも大好きで自分でも時々作りますが、なかなか同じ味にはなりませんね。』
『写真にはないですが、サムイ島で働いていたホテルでよく食べたカオソイガイ(ココナツミルク入りカレーラーメン)とても美味しいです。外国人スタッフは1日1食、ホテルのレストランで食事をすることが許されていました。今でも私はかなりのココナツ好きです。』
活躍の場を大学へ
さて、いよいよ大学教員としてのお話を伺いたいと思います。鍋嶋先生の授業は、どんな授業なのでしょうか。
とても興味があります。
『本職あっての授業、これが面白いと言われました。ホテルでは、毎日のように事件があります。』
石ノ森章太郎さん作、~ホテル~の「姉さん 事件です!」ですね。
『実際に起こったことを題材に行う臨場感のある授業は、とても楽しいです。実はホテル業界は離職率が非常に高い。思っていたイメージと違うというのが理由です。私の授業を受けて学んでもらい、ホテル業界が自分に合うと思った人に就職してほしい。それをわかってもらうには、私のような人材が学生に直接伝えないと。と思っています。教える側になるとは思ってもいなかったのですが、その選択肢もありかなと。神戸国際大学に応募し着任となった今も、このことを心がけて授業をしています。学生は寝ていたり、おしゃべりをしていたり、テンションが低かったりしますが、ゲストスピーカーを招いてお話いただいたときの感想文を提出してもらうと、非常によく話を聞き、自分で内容をとらえていることがわかります。これはうれしい限りです。』
鍋嶋先生の授業、受けてみたいですね。ところで先生は今現在、京都大学の経営管理大学院 経営管理教育部 サービス&ホスピタリティプログラムを受けておられるのですね。
『観光産業を担う中核人材養成講座を一緒に受講していた仲間がこのプログラムを受けていて、私もどうかと誘われました。最初は少し引けていたのですが、科目履修から始めるのもありといわれ、通い始めました。働く、教える、学ぶ。この三角形のバランスは非常にいいと感じています。働く現場で疑問に思ったことを大学で学び、答えを見つけていく。教える場で学生の感想やアイデアをもらい、学ぶ場で展開してみる。今、とても充実しています。』
鍋嶋先生のてんこもり人生の振り返り、連ドラをみるようでした。
さて、今度は先生が考えられる観光のこと、ホテルのことを、伺いたいと思います。
まずは、神戸についてどう思われますか?
『日本人旅行者にとっては神戸のイメージはとても良いと思います。ですが、外国人旅行者にとっては「神戸牛」以外はほとんど知られていません。明らかにアピール不足だと思います。三宮のホテルでは約4割が外国人だとも聞きますが、国内外いずれの旅行者も神戸のリピーターにはなりにくい。クルーズや歴史的なもの等、もっと神戸の資源を掘り出してプランを立てたいですね。近隣の大阪・京都は何度も足を運ばれる街です。神戸もぜひ、魅力発信をしたいですね。』
日本は観光立国となるために様々な課題があるといわれます。今後の観光業でホテルの果たす役割は何だとお考えですか?
『まずは安心・安全です。これがないと成り立ちません。その根底を守りつつ、独自のカラーをどう出していくか。例えば地元とのつながりをアピールする。ホテルを建てる前からコンセプトを考える。星野リゾート青森屋は、365日ねぶたが体験できるホテルです。うまいと思います。星のやは、「界」ブランドのように、リノベーション手法を使ってホテルの役割を見事に果たしていますね。』
私も、軽井沢の星のやに行ったことがあります。実は前日遅くまで仕事一色にしていたので、なかなか切り替えができず、初日はホテルのコンセプトを享受できませんでした。次の日にはすっかり魅了され帰りたくなくなりましたが(笑)。確かにとてもうまいですね。
『軽井沢初日はきっと、ニーズとホテルのコンセプトが合っていなかったのかもしれませんね。ニーズとコンセプトといえば、新大阪のホテルの話となりますが、立地が駅前ですのでコンセプトはビジネスマンのためなんです。ですが、利用者の半分はレジャー目的です。お客様一人一人をみて、目的をさぐりそれにあったサービスをする。見極めるのがとても難しいホテルでした。熟練しないと対応できないですね。』
なるほど。そうだと思います。軽井沢には前日、仕事を休んでいくべきでした。反省しています。これからももっとニーズを合わせてほかの様々なホテルに行ってみたいです(笑)。
『ホテルの果たす役割の中で、「サスティナブル」これは必須だと考えています。プラスチックに係る資源循環の促進等に関する法律が制定され、ホテル業界においても少しずつ努力しています。ですがなかなか難しい。ホテルができる策は限られています。使っていただくお客様の意識が変わらないときっと変わりません。サスティナブルに関しては、日本とヨーロッパで、意識の差はかなり大きいと感じます。日本も、ホテル業界が率先して実行できればと思います。若い学生達の感性を吹き込んでもらい、新しい提案ができれば素敵ですね。』
『最後になりますが、ホテルは「人」がすべてです。人材マネジメントが肝です。シニア人材と若者人材、外国人人材の活用マネジメントが大切です。日本人はもともと「おもてなし」の心が豊かな文化を持っています。その特性を活かして、働く人の幸せとお客様の幸せが共存しあい、人のサービスがあってこそ成立するのがホテルだと思います。そのためにも学生のときに、コミュニケーションが取れる力をつけ、ホテル業界はこんな世界なんだと教えること。また自分を活かせるかもしれないと思ってくれる学生のサポートすること。この4月に神戸国際大学に着任した自身の役割だと思っています。』
鍋嶋先生、長時間ありがとうございました。インタビューは予想以上のダイナミックな展開になりました。次はどうなるんだろうとワクワクいたしました。
ひとつ気が付いたことがあります。鍋嶋先生の人生の節目には「人」がいたということ。
それからもうひとつ、鍋嶋先生、「声」がとても素敵です。電話で受けられた面接もきっとこの「声」が大きな加算ポイントとなったのではないでしょうか。先生がフロント業務をされているところを想像すると、NHK黄河シリーズのナレーションを聞くように、心地よく魅力的です。お伝えすると、照れ笑いしながら、最初のパレスホテルでの研修で叩き込まれたことのひとつです。とおっしゃっていました。やはりプロフェッショナルですね。
さて、恒例の推し本紹介です。
今回は、金の星社 「かわいそうな ぞう」です。小学校1年生のころ読まれたそうですが、本を読んで初めて泣いたのがこの「かわいそうなぞう」だったそうです。お人柄がとても出ているなと感じました。
写真につきましては、鍋嶋先生ご自身からと、教職員の方とその友人の方からご協力をいただきました。
ありがとうございました。
神戸国際大学図書館では、鍋嶋先生の推し本を入口近くで紹介しております。今年は9月半ばというのに、まだまだ真夏のような暑さですが、秋はもうすぐです。秋は旅に出るには最適な季節です。訪れたことのない土地や、前から行きたかったホテル、まだ食べたことのない郷土料理。さあ、どんな旅にでようか。あれこれ考えるだけでも楽しいですね。
ぜひ、大学図書館で、ホテルや観光や、旅に関する本をたくさん手にとっていただければと思います。