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阪神・淡路大震災の発生から25年を迎えました。

1995年(平成7年)1月17日(火)5時46分52秒、神戸市垂水区の南にある明石海峡を震源とするマグニチュード7.3の地震が発生しました。この阪神・淡路大震災から本日で25年を迎えました。

屋根が壊れ、レンガのはがれたキャンパスの様子。

当時、神戸市垂水区にあった神戸国際大学では、学生教職員の犠牲者はありませんでしたが、キャンパスのいたるところに被害がありました。校舎の倒壊は免れたものの、外壁のレンガや教室の天井は剥がれ落ち、図書館や研究室の本棚が倒れおちていました。1月17日以降の授業は自宅学習となり、授業内容の補充として学生にはレポート指導が行われました。また、入学試験の時期や会場を変更して実施したほか、学内の様々な行事が変更や中止となりました。

棚が倒れ資料であふれる研究室

天井のはがれ落ちる2号館3階の講義室

大きな書架の倒れた当時の図書館

副学長で、震災当時は災害対策本部にいた山本克典先生は「震災後は街の様子が一変し、走る車の音もなく、賑やかだった神戸が静かになりました。当時は対策本部で様々な対応にあたりました。私は大学の近くに住んでいたため通勤できました。ですが、多くの教職員が大学に集まることが難しく、情報伝達手段も今ほど無い時代でしたのでとても大変でした。連絡のつかない学生の家庭を訪問したり、授業が無いため学生が家に来て指導をしていたこともあります。神戸と大阪の電車が開通した際、学生たちも大学に通うことができて嬉しそうにしていたことが印象深く残っています。」と25年前を振り返りコメントしてます。

深江本町阪神高速倒壊現場(写真提供:神戸市)

震災後の六甲アイランドマリンパーク(写真提供:神戸市)

倒壊したガントリークレーン(写真提供:神戸市)

現在、神戸国際大学のある場所の震災直後の様子(リゾートテーマパーク六甲ランドAOIA)。六甲アイランド向洋町中8丁目 六甲ライナー「マリンバーク駅」周辺より北を望む(写真提供:神戸市)

2002年には神戸市垂水区から東灘区の六甲アイランドにキャンパスを移転しましたが、震災の経験と防災への意識は脈々と受け継がれています。また、現在では、リハビリテーション学部の学生中心となった学生団体「防災救命クラブDPLS(ディプルス)」が、救急法講習や防災活動を通じて命の大切さを地域の方に啓発する活動を行っています。

防災救命クラブ(DPLS)による心肺蘇生法やAED(自動体外式除細動器)の使い方、搬送法などの指導の様子

■リンク
1.17は忘れない ひょうご安全の日公式サイト
リメンバー117 阪神・淡路大震災25年
神戸国際大学防災救命クラブ(DPLS)